真・組討術


はじめに
 この文面はFaceBookに載せた文面をベースとした雑誌「撃剣倶楽部」に掲載する簡易版となります。

 私(著書)が危惧している現代武道に剣道がある。学校教育の学習指導要領によって柔剣道が必須となったにもかかわらず、全体の剣道人口は年々その数を減らしている。居合や抜刀道のような日本刀で斬るという動作でもなく、他のスポーツのようでもない。剣道型が残っているものの、竹刀競技との動作における乖離が大きい。武道なのかスポーツなのか立ち位置もみえない。精神面を説く時には古武道の教え、鍛練などは現代スポーツ的。そのためか評価が低いようにも感じる。

剣道の進化は正しかったのか?
 私は剣道を学んだことで身体を強くすることができ、積極性を養うことが出来た。私の中では非常に評価を高くしてはいるのであるが・・・・。剣道の現在の姿は、一つの進化形ではあったと思う。しかし、これが正しい進化だったかというと疑問を感じる。

 竹刀稽古の発生は早かったのだが、技術やルールの完成は幕末頃であったとみるべきだろう。牟田文之助の廻国日記には、江戸の三大道場が当時の日本では最もレベルが高かったと思われる記述がある。無論、ルール等の統一化をし始めると個性が消え、そのルールでいかに強くなるか特化してしまい面白さが消えてしまう。

 「不世出の達人」「生涯不敗」とも言われた武田惣角が「日本一の突きの名人」下江秀太郎の籠手打って破ったと言われている。惣角の籠手打は数種の方法があったようで、現在よりも技法の幅の広い剣術であったといえるだろう。惣角時代より技の幅が狭くなっている戦前の剣道でも、突き技は2種類が記述されている。表突と裏突の二つで解説には以下のように書かれている。

表突
「右拳を左にひねり左手を十分絞って、刃を斜右に向け、左の鎬にて敵刀に摺り込む様にして、右足より敵の咽喉部に突き入る」

裏突
「右拳をひねり左手を十分絞って、刃を斜め左に向け、右足より敵の咽喉部に突き入る」

 竹刀であっても実際の刀を想定していたことがわる。現在では組討をふくめ実際の刀を想定することは希薄になってしまった。敗戦を迎え武道禁止令から立ち直るために現在の形にならざるを得なかったということでもあるだろう。

 竹刀稽古でも消えていった技術が少なくない。歴史を知るということは剣道の別の面を知ることが出来る。剣道を学ぶものが武道史と聞いて頭を抱えていてはこころもとない。

 現在、撃剣という競技はあるようだが、自分も撃剣という分野を活字として復興・応援したいとは考えている。
競技としての剣道
 武道スポーツとして剣道は完成されていると思われる。少年、青年、成人、警察といった段階ごとに使用できる技法がかわってくる。当然ながらより実践に近いのが警察における剣道であるのは言うまでもない。

 しかし、明治期では剣道の試合で組討になる事は多かったし、実際に道場でも組討になり面を外した方が勝つというルールで稽古をしていることも多かった。 

 もちろん少年たちに警察の使う剣道を採用する必要ではないと思う。剣道家として剣での勝負を大切にすべきだし、技が汚くなり怪我人が増えるてしまっては本末転倒になってしまう。とはいえ剣道を学ぶものが受け身を学ぶことは必要だといえるだろう。事実、打ち込んだ後に重心が浮いたところに、相手の体当たりのタイミングがあってしまい、後頭部から倒れる形で失神してしまったのを見ているからだ。中学生くらいになった受け身を重点とした組討を形として教えるべきであろうと考えている。

護身として見た剣道
 剣道はスポーツ武道としては良くできている。相手と正対し両足が平行にむくため後退が窮屈で、むしろ前進が容易であり、また声を出すために積極性を養いことに優れている。、

 しかし剣道を学んでいた時に一番感じたのは護身性の希薄さであった。たしかに、ある程度の長さの棒を持てば危険から身を守ることができる。だが常に棒状の物を携帯することも難しく、特に若い人がステッキを突くわけにもいかない。傘では打撃に耐える強さは無く、とがっている先で突けば場所によっては相手が死亡することもある。折りたたみ傘であればある程度の強度は保たれるが、間合いが違ってくるため小太刀による稽古を積む必要があるだろう。

 下記の写真は戦前の剣道本にのっていた組討技法である。@は顎と頭部を持って捻り倒す技法でいくつかの柔術流儀にみることができる。起倒流は顎に片手の掌のみを当てて行うが、首関節を極めるのではなく投げるための崩しに使用している。合気道にも写真@と同様の技が有るが、これも首の痛みでなく相手を投げる技法ではなかった。この技の稽古の時に先生に呼ばれ、「投げられないように踏ん張れ」言われたので力をいれていたら、まるで枯れ草を引き抜く様に投げられたことがる。

 写真Aと写真Bは、柔道における足払い・小外掛け・小外刈り・小内刈りといった足技を使用するのと同様の方法である。徒手武術のように両手が自由に使えないため、竹刀の柄で相手の手首や腕の動きを固定し、竹刀を相手の首にかけているのがわかる。当然ながら、これらの技法を使用すれとすれば稽古で受け身を学ぶ必要がでてくる。

 写真Cは柔道における腕挫腕固と同じ技である。

  

             @                    A                   B



C


 無論、これらの技法を学べば徒手武術や総合格闘家と競い合ったり勝てるということではない。あくまでも護身として剣道家に必要ではないかと提案するものである。江戸時代の剣術流儀に当身の技法が併傳されていたこと確認でき、居合には小具足や距離が詰まった時の対処方法などが併傳していた。そうった事例をみるに剣の動きから出たともいわれている合気道の立ち技・関節技や柔道などの寝技を研究する必要もあろう。


 剣道家が学ぶべき組討技術は複雑な技法や数多くの技は必要ない。あくまでも身を守る護身としての技術であるからだ。そして何よりも剣術・剣道での強さが基本でなくてはならないためである。